新年あけましておめでとうございます。

2012年1月2日

Staff-bです。

新年あけましておめでとうございます。

昨年は日本の救急医療・災害医療の概念を変えるような大きな震災がありました。実際災害医療に従事した身としては、救急医としてのパラダイムシフトが起こったような感じさえも受けた1年でありました。

昨年1年間の当院ドクターヘリ出動件数は500件を超えました。これはひとえに関係消防機関のご協力の賜物であります。隠された需要もまだあるかもしれませんし、千葉市のピックアップ方式消防防災ヘリの本格導入などにより、ヘリコプターによる(準)広域搬送については本年も変化があるかもしれません。私見ですが、千葉県の人口分布を考慮すると、このあたりの出動回数が適正なのかもしれません。(正確な統計は、後日掲載いたします)

また、今年の11月には当院救急・集中治療科が主になって日本航空医療学会総会を行います。かずさアカデミアパークを会場とし、2日間にわたって開催する予定です。

昨年年末から今年の年始にかけ、ICUが比較的忙しく、持続的血液濾過透析をはじめとする人工補助療法を要する患者さんが多く入院しています。初期研修医とともにスタッフもがんばっております。

本年も宜しくお願い申し上げます。

第18回日本航空医療学会

2011年11月19日

引き続き、staff-bです。

11月12日は長崎ブリックホールで第18回日本航空医療学会総会が催されました。実は当院は第19回の同学会総会を主催することになっており、スタッフ総出で参加してきました。医師からの演題発表は2題、看護師からの発表を1題行いました。

受付を入るとヘンな生き物が・・・

長崎医療センターのドクターヘリマスコットの「ヘリドッグ太」くんだそうです。
かわいさでは「ちーばくん」のが上だろうという意見で当院スタッフの中では一致しました。もちろん相当ひいき目が入っています。はい。

来年の学会に向けて、やることがいっぱいあります。実りある会にしたいと思います。

救急医療業務実地修練

2011年11月19日

Staff-b です。ご無沙汰しております。

11月の頭になりますが、財団法人日本救急医療財団というところが行っている救急医療業務実地修練に参加しました。

全国の救命センター等の見学にいく実地研修を2日間、その後東京で合同研修を3日間というスケジュールでした。
私は済生会千里救命センターに見学に伺い、独立型救命センターとしての業務内容や、運営内容等につき講義を受けました。夜間は救急外来の見学をさせていただきました(が、あまり患者さんが来ない平和な夜でした)。さらに、東京では全国各地の救急医療機関の先生方といろいろなディスカッションを行いました。
内容は非常に充実していて参加して良かったと思いました。いろいろな環境の救急の先生がたと交流を深めることができました。様々な救急の形態があるということを理解しました。

さて一般に、救急医としての働き方はいろいろあるのですが、
1.重症救急患者全てに対応し、入院から退院まで担当する(独立型)
2.救急外来にきた患者を全て担当するが、入院は他の科にお願いする(ER型)
というのが大きな2つの流れかと思います。

当院は救命救急センターとして指定を受けています。独立型の救命センターではありませんが、ドクターヘリを擁しており、救急科専門医は5名、専属スタッフは合計6人からなります。全てが千葉大の関連人事というわけではなく、国内留学にきている先生もいます。(スタッフについてはホームページを参照してください。)

当院の場合、救急医の仕事は大きく分けて2つあります。

1.病院のclosed ICUの管理
 院内・院外からの紹介、内科系・外科系にかかわらず重症患者さんで人工補助療法が必要な場合、集中治療管理を行います。人工呼吸器や持続血液浄化療法、人工心肺等も我々が管理を行います。
2.重傷救急の対応
 多発外傷や緊急手術が必要な患者さん、対応が多科にわたる患者さんに対し、全身管理を行います。全身管理が終了し、各科管理が可能と判断された場合、各科に引き継ぎます。ドクターヘリ対応の患者さんもこちらに属します。

独立型では緊急手術等も自分らの手で行えるというメリットがある反面、術後管理で集中治療管理を要することまで行わなければならず、人手の面等で支障が出ることがあると思います。一方ER型では患者さんの入院対応まで行えず、他の科との連携に支障が出ることがあると思います(この項は私見です)。
当科については、「院内でも院外でも困ったらウチ」というような流れがあり、スムーズに仕事が流れていきます。サブスペシャリティとして、今までは千葉大学救急集中治療医学講座の関連で外科研修に行ったりする者、放射線科研修に行ったりする者がおり、また院内でも手術に参加したり血管造影検査に参加したりということを行っています。

何を書きたいのかよくわかりませんが・・・ 一応科の宣伝のつもりです。

一般の患者さんからのお問い合わせにつきましては、当ブログや救急科自体としての対応はできません。病院にお問い合わせいただきますよう、よろしくお願いします。

ドクターヘリ着陸ポイントについて

2011年9月22日

こんにちは。昨日に引き続きstaff-bです。

写真は先日の出動のときの着陸風景です。

斜面での着陸

千葉県ドクターヘリはランデブー方式をとっており、臨時ヘリポートとしてあらかじめ指定された場所(ランデブーポイントといいます)に着陸するのを原則としています。
しかし、現場付近に適切な着陸場所がある際は、安全が確認された上でランデブーポイント以外の場所に着陸することがあります。それは駐車場であったり、ゴルフ場であったりします。
先日の出動では、このような斜面にヘリが着陸しました。
みての通り、機体の着陸装置(スキッド)の前面のみ着陸し、後ろは宙に浮いています。

こういった場所にも着陸が可能なんだそうです。
きわめて珍しい事例である、とはパイロットさんのお話でした。

(写真提供:KOBAYASHI様、どうもありがとうございました。)

ドクターヘリ出動1000回!

2011年9月21日

Staff-bです。こんにちは。

君津ドクターヘリは、9月12日に出動1000回を記録しました。
運航開始が平成21年1月19日なので、2年と約8ヶ月で達成したことになります。出動回数は、初年度54件(1〜3月)、平成21年度325件、平成22年度380件、本年度は4〜8月で225件と増加傾向にあります。

これも医師・看護師・運航会社のスタッフのみなさんと、病院職員のみなさん、さらに搬送先医療機関のみなさんのご協力の賜物です。

臨時ヘリポート等でお世話になっている施設の方やその利用者の方、要請や現場を取り仕切っている救急の皆さんにも感謝いたします。

今後ともよろしくお願いします。

heli_1000th

2011年8月ヘリ統計

2011年9月21日

Staff-bです。

2011年8月のドクターヘリ出動回数は64件。
7月の43件より増加しています。昨年の8月は37件であったことを比較すると、大幅な伸びです。

運航会社の朝日航洋さんから、8月期は朝日航洋の全ドクターヘリ基地の中で航続距離が一番長かったと聞きました。
確かに君津から野田まで出動したりと、遠方への出動が多かったと記憶しています。

2011年7月ヘリ統計

2011年9月21日

Staff-bです。こんにちは。

2011年7月のヘリ出動回数は43件でした。6月より増加、昨年の7月の40件よりも増加しています。

内訳は、現場出動が37件、病院間搬送が3件、出動後キャンセルが3件でした。

2011年6月ヘリ統計

2011年9月21日

Staff-bです。ごぶさたしております。

2011年6月のヘリ出動回数は37件でした。5月の34件より増加しています。前年6月は24件で、これに比較しても大幅増加です。

日が長くなってきたせいもあったのでしょうか。

DMATお帰りなさいのメッセージ

2011年6月18日

Staff-bです。

先のメッセージにもありましたが、ぱーと救急医さんなどから「おかえりなさい」のメッセージをいただきました。このホワイトボードの裏には、われわれがどういう活動をしていたか時系列通りにちゃんと記載してくれていました。

現場で働くだけが災害支援じゃないです。ありがとうございました。

東日本大震災における当院DMAT隊の対応記録

2011年5月30日

この度の東北地方太平洋沖地震にて被災された多くの皆様謹んでお見舞い申し上げます。 また一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。

Staff-bです。君津中央病院として、あるいは救急医として今回の震災への対応について述べておきます。ここに記載するのは君津中央病院の公式見解ではありませんし、staff-bの個人的意見と体験です。いつのタイミングでこのブログにアップしようか考えていた(のと、忙しさにかまけて忘れようとしていた)ので、幾分正確さに欠ける内容であることをご了承ください。
また、本文はあとで主に正確性を期すために改変することがあります。

震災当日、私をはじめスタッフはICU内にいました。ドクターヘリはちょうど出動中でした。旭中央病院はかなり被災したと聞きました。また、市原市ではコンビナートの爆発事故、千葉市の製鉄所の火災があり、浦安市では交通が分断され、救助を要する状態のようでした。

厚生労働省からDMAT各隊に待機要請がおり、そのとき院内にいたDMATスタッフと自宅にいたスタッフが病院に集散しました。

病院への一般回線の電話はほとんどつながらず、救急車を受けるホットラインも回線輻輳のためにつながらない状態でした。幸いなことに、当院のライフラインは全く問題がありませんでした。
しかし、どのくらいの被災者が搬送されてくるかまったくわかりません。
災害急性期対応として、ICU, HCU, 救急外来のスタッフは空いているスペースに手際よくベッドを設営していきます。院長以下スタッフは病院玄関に集まり、病院ロビーを応急救護所とすべくソファを片付けたりてきぱき動き出します。

いったいどうなっているんだ、これからどうなるんだ、という声がそこここから聞こえてきそうな状況でしたが、誰も回答を持っていない状態でした。院内の情報を統一すべく、院内イントラネットに急ごしらえで災害用掲示板をつくってもらい、情報の一本化を図りました。院内の情報整理と体制づくりは院長・救急部長等が行っているかたわら、集まったスタッフでDMATチームを結成しました。

ちょうど休みであった他のスタッフは、アクアライン上で交通が完全にストップしてしまい、余震の恐怖におびえながらなんとか時間をかけて病院に戻ってきました。大阪に向かっていたスタッフも急きょUターンしました。

結成されたDMAT1隊目は私staff-bともう1名の医師、看護師3名、事務2名という組み合わせでした。県からの出動命令を待ちますが、なかなか出動命令が下りません。出発したのは21時過ぎで、参集拠点である筑波メディカルセンターへ出発しました。高速は全線通行止めでしたが、緊急車両ということですべて通してもらい、午前1時過ぎに筑波メディカルセンターに到着。DMAT隊は10隊程度がすでに到着しておりました。同じ千葉県で救急を担っている亀田総合病院のDMAT隊や千葉大学医学部附属病院のDMAT隊とも連絡を取れました。筑波メディカルセンターのあたりは電気も通じておりましたが、参集場所の会議室の天井は一部崩れており、地震の爪痕を感じさせました。そこで、倒壊した病院から他院への緊急転院搬送を命じられ、某病院から他の病院へと全員の患者さんを転出させるべくまず活動が始まりました。

各地からきているDMATと協力して転院搬送を行います。この病院周辺は完全に停電しており、信号ももちろんです。そこかしこ道に亀裂が入っており、普段の感覚で運転すると段差でがったーん、となります。
朝6時ごろまで転院搬送支援を行い、そのあと某市市役所の地域本部に出発しろという命令が下り、そのまま車で出発。ガソリンの残量が気になりますが、
ガソリンスタンドはすべて停電のため給油不可。コンビニもすべて閉店していま
す。
高速道路で移動を開始しました。早期に高速が通行止めになっていたため高速道路SAのコンビニは営業していないまでも商品が残っていました。なんとか店をあけてもらい食料を確保。
行きのラジオでは福島の原発からの放射能もれが・・・ というニュースを繰り
返し流しています。

9時前後に某市市役所に到着しましたが、市役所は避難所となっており人でご
った返しています。トイレも水が流れず(大)の方はもう悲惨な状況になってい
ました。

市長・議長と挨拶ののち、行動開始まで一時間ほど会議室で休憩。津波の影響を調べるべく自衛隊が出るため、その医療活動支援、および緊急救護所の設営のためにDMAT4隊が導入されました。

われわれが派遣されたのが某市立病院。震災で壁には亀裂が入り、ライフラインはすべて途絶えています。入院患者は70名あまりおり、スタッフは直来
患者の対応をしているとのこと。昨晩は死傷者・重傷者含め多数の傷病者が来たとのことでした。院内の電気は発発でなんとか照明のみ、水はタンク内、電話は完全に途絶えている、人工呼吸器患者が四名いる、という情報です。

自衛隊の救助から重傷者が多数搬送されてくることを想定し、2隊のDMATで院内の外来の構成を変え救護所を設営。自衛隊と本部に連絡をとろうにも、携帯電話はほとんど不通。消防の人が来てくれており、消防無線経由で本部と連絡するような形としました。

自衛隊の情報は全く入ってこず、すなわちこちらで「緊急救護所を開いた」という情報も伝わっていないことがわかりました。本部経由で自衛隊と連絡をとってもらいましたが、自衛隊では被災者があまりいないため、規模縮小しているとのこと。

院内の人工呼吸器つき患者の搬送を行うため、本部に確認しましたがこれに時間がかかり、市の救急車も用いなんとか午後くらいから転院開始。ひるがえって見てみるとこの病院はライフラインは完全途絶、電気もガソリンが尽きたら完全に終了・・ 電気の復旧すら見込めていない・・

入院患者全員の転院搬送を決断しました。本部に連絡を取り、全員の転院を開始。近隣の医療機関をメインに、なんとか茨城県中の医療機関へ、長距離の転
送を他のDMAT隊に依頼します。他からもDMATを増隊してもらい、愛知・大阪・静岡・茨城の各DMATと協力し、なんとかピストン輸送を繰り返し、転院搬送を行います。最後は午前一時すぎに我々も南茨城の某病院に患者搬送を行いました。
各隊もまったく寝ずにずっと働いており、震災で街灯や信号は完全に消えている、下手するとカーナビもない状態である、という隊もいました。「疲れているから
もうやばい」という声も(ニュアンスでなく、本当に)聞こえており、各DMAT隊員のストレスも相当のようでした。

午前4時すぎに、君津中央病院に撤収。およそ46時間の不眠不休の活動でした。

そのあと病院で寝てしまい、昼ごろ起きてこれを書きました。

今投稿しているのはそれを編集したものです。

被災地は完全に情報が隔絶されており、われわれも情報入手は消防無線のみでした。情報発信はなんとか携帯が通じたときに君津のスタッフに電話し、DMAT災害用掲示板に流して情報共有を行いました。インフラストラクチャーっていうのは空気みたいなもので、普段はインターネットがあって当たり前、携帯電話があって当たり前、という状況なのですが、災害時に情報が伝わらない、というのは問題であると強く思いました。

そのあと、間髪入れずにDMAT2隊目が出動したのですが、これについてはどこかで掲載したいと思います。